メンタルヘルスというと、少し前までは、長時間労働によるうつ病をイメージするのが一般的でした。しかし現在は、適応障害や抑うつ状態など、診断の幅も様々となり、原因も多種多様となっています。そんなことくらい、大したことない、と放っておくと、会社が責任を負うことになるので備えが必要です。
1 安全配慮義務の広がり
なぜ会社が従業員のメンタルヘルスに配慮しなければいけないのでしょうか。それは、会社には、労働者が安全かつ健康に働けるように配慮するという安全配慮義務があるからです。
安全配慮義務には、労働災害を防止する最低基準の義務や職場における労働者の安全と健康を確保するための事項などがあります。元々は高所などの危険作業、薬品などの危険な物を取り扱う労働者を想定してうまれたものですが、仕事によって労働者が精神を病むケースや、自殺などによって命を失う危険があると意識されるようになり、労働者の身体だけでなく心理的な負荷にまで企業の負う安全配慮義務の範囲が及んでいます。
当初は長時間労働による過労自殺が主でした。しかし現在では様々な要因でメンタルヘルスの不調が生じることが知られるようになり、経営者はもちろん、管理監督する立場にある従業員にもその義務が課せられることから、企業として配慮すべき事態も広がっています。
2 現代企業のメンタルヘルスへの責任
こころの健康づくりが注目されるようになり、ストレス、精神障害、自殺など幅広い対策が求められるようになった現在、どのような場合に従業員のメンタルヘルス不調に対して企業が責任を負うのでしょうか?
参考になるのが「心理的負荷による精神障害の認定基準」です。これは、会社での出来事が労災に該当するかを判断する基準で、労災のみでなく、会社の安全配慮義務を考えるうえでも参考になるものです。こういう場合には労災に該当するという考え方が示されているので、事態を防止する際の参考にもなります。また、予兆がある場合に対処することは、安全配慮義務を履行(実行)したことにもつながります。
<具体例>
長時間残業(月80時間)、長期の連勤(2週間以上)といった業務負荷が重い典型的なもの他にも、いじめ、パワハラ、上司とのトラブル、仕事内容の変化、セクハラがメンタルヘルス不調の原因としてあげられています。近年ではカスハラや感染の恐れのある業務への従事が追加され、「心理的負荷による精神障害の労災認定基準」は時代の変化に合わせて改正されています。
パワハラの例をとってみても、治療が必要なほどの暴力を受けた、という典型的なパワハラ行為はもちろん、他の労働者の前で、大声で威圧的に叱られた場合も労災の原因として規定されます。つまり、人前で叱責された後にメンタルヘルス不調をきたした場合、業務によって病んだ労災だと認定されるのです。企業はこのような事態を防止しなければ、安全配慮義務違反にもなります。
3 企業の3つ責任
(1)原因の予防
メンタルヘルス不調の大きな要因となるのは長時間労働です。長時間労働の抑制対策として、企業は労働安全衛生法によって、以下の3つの義務が課せられています。
(ⅰ)衛生委員会の設置の義務
衛生委員会は1事業所に50人の労働者がいる企業に対して設置義務が課せられています。衛生委員会のなかで、長時間労働による健康障害の防止を図るための対策、精神的健康の保持増進を図るための対策を樹立する義務があります(安衛法18条1項4号,安衛則22条9号及び10号)。
(ⅱ)毎月1回以上、長時間残業の有無をチェックする義務(安衛則52条の2第2項)
(ⅲ)労働時間の状況を把握し(安衛法66条の8の3)(管理職も対象に含まれる。賃金台帳の労働時間数の把握でもよい)、長時間労働者(週の実労働時間が40時間を超えた時間が1月当たり80時間超)に対し、労働時間の状況に関する情報を通知する義務(安衛則52条の2第3項)が課せられています。
(ⅱ)(ⅲ)は全ての企業が実施する義務を負っています。
年に1度の定期健康診断実施の義務もあります。(安衛法66条1項) この健康診断には、メンタルヘルスの項目は含まれていませんが、労働者が50人以上の事業場では、ストレスチェックの実施義務があります。
(2)事態の把握
従業員の心身の健康状態を把握するために「労働者の心の健康の保持増進のための指針について」(平成18年3月31日付基発第0331001号)に一般的な指針が示されています。具体的には、長時間労働(週の実労働時間が40時間を超えた時間が1か月80時間超えること)により疲労が蓄積した労働者に対して
・医師による面接指導(安衛法66条の8,66条の9,安衛則52条の2~52条の8)。
・面接の結果,必要に応じて適切な措置を講ずる義務(たとえば、就業場所の変更,作業の転換,労働時間の短縮,深夜業の回数の減少等の措置など) (安衛法66条の8第5項)。
さらに
・心理的な負荷を把握するための検査(ストレスチェック)を行い、その結果を労働者に通知する義務(安衛法66条の10)
・結果に応じて面接指導・業務是正を行う義務(安衛法66条の10)を負います。措置を講じるときは医師の意見を聞かなければならず(安衛法66条の10第5項,安衛則52条の19)、この医師の意見は衛生委員会へ報告することが義務づけられています(安衛法66条の10第6項)。
健康診断のメンタルヘルス版ともいえるストレスチェックは、1年以内ごとに1回実施の義務があります(ただし、50人以下の事業場では努力義務)。受けるかどうかは労働者の自由ですが、チェック結果の提出を受けるときは労働者の同意が必要とされています。また、ストレスチェックに携わる者には守秘義務があります(安衛法105条)。
チェックの内容は、厚生労働省がサンプルとして公表している57項目からなる「職業性ストレス簡易調査票」が参考になるでしょう。チェック項目は企業が自社に合わせて変更することもできます。更に項目数の多い80問版ストレスチェックは、管理監督者や衛生管理者だけでは把握しきれなかった職場内の課題を見つけるのに役立ちます。
メンタルヘルスの情報はプライバシー性の高い情報でもあり、人事評価につながる情報でもあります。従業員自ら進んで申告することが少ないだろうということをあらかじめ想定し、会社は必ずしも自己申告がなくても健康に関わる労働環境に配慮し、措置を講じなければいけないと判例でも判断されています(最二小判平成26年3月24日裁判集民246号89頁)。
(3)事後対応
労災の場合、会社は療養補償(労基法75条),休業補償(同法76条),障害補償(同法77条)等を行う義務を負います。これらは労災保険によってカバーされているので、労災申請をきちんと行いましょう。また労災の場合に企業側にとって大きいことは、解雇制限があることです。その従業員が職場復帰できなくても、原則として休業を理由に解雇をすることはできないので注意が必要です。(同法19条)。
一方、プライベートである私傷病の場合は対応が異なり、休職がメインテーマになります。
4 業務に起因しないメンタルヘルス不調
私傷病でのメンタルヘルスは休職をさせるかどうかがメインテーマになります。休職となった場合、復職できなければ退職を迫られることになるので、休職中の労務管理や復職を認めるどうかの判断など、注意して対応しなければならないことが多い上、重い判断を迫られます。
業務上か私傷病かにかかわらず、その言動からメンタルヘルス不調が疑われる従業員がいたら、従業員と人事部面談・産業医面談を実施する、もしくは受診している医療機関の診断書の提出を求める等の方法によって、従業員の実情(病状)を確認する必要があります。実情を把握した上で、企業はその従業員の就業場所の変更や作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少等の措置など適切な措置を講ずる他、従業員の病状によっては、休職命令を検討しなければならない場合もあります。
5 まとめ
以前は「心の健康は個人の問題」として扱われることが多かったメンタルヘルスですが、現在は安全配慮義務や安全衛生法による義務によって企業がとらなければならない対応は、多岐にわたるようになりました。メンタルヘルスの問題はどの企業においても起こりうることととらえ、日頃から従業員のメンタルヘルスに配慮し、発生する前に、もしもの事態に備えるようにしましょう。